ブリブリの日常的な感じ

日常の自分を綴る

ベートーベンのピアノコンチェルト第3番について

たまにはまじめな話で。

ベートーベンのピアノコンチェルトの3番と、ブラームスのピアノコンチェルトの1番についてちょっと語ろうかと思居ます。
クラシックがわかる人向きに話すので、ご了承を。

クラシックファンでも、より高度なクラシックファンは、当然スコアを購入して鑑賞してると思う。

今ここで取り上げるのは、あくまで総譜と呼ばれる、使用してる楽器が全部載ってるスコアを意味しているのだが、それを要約して、二段ないし数段に縮小かしたスコアがある。
これをコンデンススアコアと言う。

余談だが、むかし俺が吹奏楽の学生指揮者だった頃、コンデンススコアに初めてであった。
簡略化されたスコアには、要点が詰まってるだけだが、たとえばオーボエの主旋律の部分では、Obと記号が書かれるなど、指揮をする上でもわかりやすくまとめてある。

これはだいたいが、吹奏楽作品ではポップスや歌謡曲といった楽譜に多くついていた。
ヤマハのポップス譜面もしかり。

わかりやすいうえ、指揮もしやすいが、要点をまとめただけで、全ての楽器の動きはわからない。しかし、便利なものである。


作曲家はコンチェルトなんかを作る時に、直接フルスコアから書く人ももちろんいるが、だいたいは、2台のピアノ譜面で下書きして、それからオーケストレーションへ持っていくのが多い。

全音でも、こうしたコンチェルトの、ピアノ譜面として売られてるものが多数ある。
作曲家の下書きではなくて、出来上がったオーケストラからリダクションしたピアノパートと独奏ピアノが載せられている譜面。

主にピアニスト向けだが、昔はフルスコアのコンチェルトが売ってない場合があった。
そんな時には、このピアノスコアを購入して勉強したが、これがかなり優れもので、先にもコンデンススコアで言った通り、オーケストラパートが要約されているので、オーケストラの必要な和音などを知る事も出来るし、動きが手に取る様にわかるので、オーケストラの作曲をしてる人間や、興味のある人間に取っては非常に勉強になる。

このピアノスコアはそれだけではない。
コンサート用にも対応してるので、オーケストラパートを一台のピアノに割り振っているだけではなく、時折、独奏ピアノパートにもオーケストラのパートを割り振ったりもしている。
わかり辛いかも知れないが、たとえばベートーベンのピアノ協奏曲第4番の、ピアノ用スコアを購入してみると、すぐわかると思う。

もちろん、それら付加した旋律は、独奏ピアノパートをアレンジしてということではなく、休符の小節を使っての事です。

こうした楽譜類も、勉強したいのであれば、というか、クラシック音楽を鑑賞する上で、自分はかなり詳しいと豪語したいなら、最低限見ておかねばならないものだと思います。

戻りますが、スコア解説と言っても、解説する人間によって様々で、口べたな人間も中にはいる。
当然、こうした音楽の解説を書くのであれば、作曲が出来て当たり前だと俺は思うのだが、出来ない人間が解説してる場合もある。

自分の分析力をきちんと養い、自分の目で音楽の構成を理解している必要も、ある程度要求されるものだ。
それが出来ないで、専門家としての鑑賞もへったくれもない。

まずは音楽をとことん理解する。
それが出来てはじめて演奏がどうのこうのと、講釈を言えるのだと思う。
音楽は学問だが、演奏を聞くだけなら娯楽。
その辺を、はき違いてはならない。
両方出来てはじめて、俺の言う専門的鑑賞なのだから。

音楽を講釈する人間はたくさんいるが、良い演奏家が良い指揮者になれるわけではなく、よい指揮者が良い音楽教師になれるわけでもない。
良い音楽教師が良い評論家になれるわけでもなく、良い音楽評論家が良い演奏家になれる事もない。

音楽は誰が偉いのではなくて、スペシャリストの集まりなのだ。
だから聞く方も、そのスペシャリストの一員である必要がある。

この記事を書こうと思った理由の一つは、以前音楽の話をして意見が対立した際に、相手から
「本人が楽しければ、本人が良いと思ってるなら、それでいいでしょ?」
という言われた。
これ、なんとか自分の立場を保持したいって話だと感じた。

芸術という感性が、あたかもそれぞれが理解してる事が真実だみないな、そういう曖昧さを利用して、知ってるっぷりを通そうとする。
残念な事だと思った。

詩でも、和歌でも、ある一定のレベルというものがある。
誰しもが自由で、それを楽しんで鑑賞するのは構わない。
でも、そのレベルに達した人が鑑賞する世界観は、そうでない人といっしょでは無い。

同じように、一定の基準が音楽にもある。

さて、その各種のスコアだが、餅屋は餅屋でもって、様々な発見がある。

添付画像の、ベートーベンの第3ピアノ協奏曲の第1楽章の、211小節について話す。

画像No1は、これは通常のオーケストラスコアで、その211小節のピアノのパッセージに、頭の音に ’ の印がついている。
この記号は、非常に曖昧な記号で、昔から、アクセントやスタッカートに用いられ事が多い。

画像No2はベートーベンの自筆画像で、この部分は1小節のみこの記号が書かれている。
ベートーベンの楽譜は汚くて、なんだかよくわからないのだが、同じ動きには同じ効果をという事は理解出来る。

No3は全音のピアノ楽譜で、ここにはスタッカートで書かれ、注釈にアクセントの意味だと書かれている。
ようするに、ベートーベンが書いたのは、アクセントだけれど、どちらとも言えないので、ピアノ楽譜の方はその両方を、オーケストラ譜面はベートーベンの書いたものを忠実に再現しいる。
(俺の譜面への落書きがあるが、申し訳ない。この曲は俺も演奏してたときがあって、その名残です。)

これはスコアの解釈を読み解いていかないと、理解出来る事ではない。
作曲家は適当にイメージとして書いた事だが、一つの発見としてはおもしろいと感じる。

これがスタッカートだったというのは、実際に当時演奏会に来ていたピアニスト達がベートーベンの演奏を聴いて理解して、今日まで語り継がれているものと思われる。

余談だが、第4ピアノ協奏曲のピアノ楽譜についてだが、第1楽章の展開部でのアルペジオの繰り返しにおいて、ツェルニーが「ベートーベンは、楽譜に書かれてる以外にも、必要以上にペダルを踏んでいた」と証言してる事が譜面解説に書かれている。

こういった談話も、スコアに入手する事によって知る事が出来る。
ツェルニーの話を譜面解説に載せたのは、おそらくピアニストの為のアドバイスとして載せたのだろうが、それがピアノ譜面のメリットだと言える。

.