クラシックファンだったら、リゲティという名前は、おそらくはご存知であろうかと思うが、現代音楽の作曲家で音楽的にもかなり高度なものなので、本当に音楽が好きな人でないと、なかなか理解するのは難しいと思う。
俺が初めてこの曲を聞いたのは、確か中学3年生か、高校1年生かぐらいだったと思う。
初めて聞いた時には、さっぱりわけがわからない音楽だった。
俺は小学生の時からクラシック音楽に親しんでいて、中学生の時には自分でマーラーや、シュトラウスのレコードを買ったりもしていたから、その部分ではちょっと、同年代の仲間より音楽的にも進んでたと思う。
だが現代音楽となると非常に受け入れがたく、どうしてこんな音楽がこの世に必要なんだろうと考えた。
否定しかなかった。
音楽を勉強していれば、わかってくることなのだが、同じ音楽でも色々な種類があって、それを一緒くたに、たとえばクラシック音楽という内包的にも、同じ括りにし難い気持ちになったりする。
聞いて心地よい音楽と、そうでない音楽が混同出来ない気持ちと言うか。
簡単に言えば現代音楽は、緊張感の中にある音楽。
その緊張感を鑑賞するものだということが分からなければ、現代音楽を理解することはまずできない。
音楽は耳から勝手に入ってくるもんだから、相手から体の中に入ってくる。
こちらから吟味して、頼んで呼び込むものでもないので、それが災いして錯覚で、誰でも理解できるものと、勘違いしている人が多い。
聞けるものや、食べるものって、そんなに価値があるようには思えないのが一般的なんだと思う。
そのことをここで書くと、また時間がかかるので詳しくは割愛するが…
自分が仕切らない事は、自分が良ければそれでいいでしょ?と言いながら、料理についてなどは、あそこの店が美味い、あの料理人の料理はちょっといまちなど、けっこう具体的な話をみんながする。
それは矛盾でしかないわけだよね。
そんな詳しい話をしたがらないなら、自分がおしいければ良いんでしょ?って、音楽の話をするときみたいに言えばいい。
でも、それって、どれだけ共有化してるか?って話にもなる。
このくらいにしておく。
現代音楽の話に戻るが、普通の音楽は理解できても、現代音楽は、鑑賞する才能のある人間でなければ、実は理解はできない。
この理解とは、音楽を知っているとか知っていないとか、そういうことではない。
この音楽を聴いて、いいな〜と思う気持ちが、心の中に芽生えるかどうか。
そういう点では、どれだけ音楽に携わって、活動してる人でも、わからない人にはわからない。
クラシック音楽を聴いてる人は、何百万人もいるだろうが、正直、現代音楽を理解できる人はわずかしかいないだろう。
かなりハードルが高いと思う。
でも、それを超えた人が、芸術家となっているわけでね。
俺は、こういう現代音楽を聞いて、さっぱりわからなくて、これは俺への挑戦だと思った。
これを理解せずに、何が音楽だ…と思った。
それで、若い頃は毎日のように、現代音楽を聞いてた。
すると、不思議なのだが、ある時を堺に、これがすばらしく聞こえて来る。
何百回も聞いてるうちに、その奥にあるものが心を揺さぶって来る。
それから、俺はこの手の音楽を克服して、スコアを見てすばらしいとさえ思う様になった。
忘れもしない、ペンデレツキの「広島の犠牲者への哀歌」を聞いた時には、自分の作ってる音楽など、完全にクソだと思った。自分のダメさ加減を知り、作曲を辞めようとさえ思った。
衝撃的だった。
芸大でこの音楽のスコアを見たときには、さらに俺は駄目すぎるし、音楽を作ってても、この人を超えることなんて、何回生まれ変わっても無理だと思った。
この話も終わらないので、このくらいにする。
掲題のサンフランシスコポリフォニーは、けっこう最近の音楽で、たしか1978年くらいだったと思う。
音楽が作られてから、だいたい20年くらいして、スコアになるので、2000年くらいには、この音楽のスコアを求めたが、スコアは無かった。
その間の事は省略するが、出版はしてるが絶版に近く、買えない現象が続いていて、有名なアカデミアとかに問い合わせて、問い合わせしてくれるとなったが、3年近く無回答だった。
実際、俺の行動は省略するが、当然ネットで探したり、全音やヤマハにも問い合わせしている。
それで、最近ショット・ミュージックで、このスコアをプレビュー出来る事がわかって、実に40年かかって、ようやくその実態を見る事ができた。
同時に、海外経由なら購入できそうな感じもあった。
印刷防止の透かし文字が入ってたが、それでも、その全貌をみられたのは、本当に感動以外のなにものでも無かった。
同時に、この音楽の素晴らしさを、改めて知ることとなった。
スコアを見られただけでも幸せで、今入手できなくでも十分だが、試験が終わったら海外の楽譜屋さんに、トライしてみたいと思う。
今夜は、その曲を載せでみようと思う。
むずかしい音楽だから、最後まできちんと聞ける人は、ほとんどいないと思うけども…
しかし、誤解があるかも知れないので言っておくが、こうした高度な音楽を理解できなくても、それは仕方ない事だから。
それを理解出来ないぶん、他の事をたくさん理解し、他の分野では、俺なんかよりも、ずっと優れているわけですから。
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