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オーケストラの作曲の話…たまにはまじめな(笑)

たまには真面目にオーケストラの作曲の話をしようかと思う。
大半の人は興味がないと思うんで、 つまらないから読まなくてもいいですよーと最初から言っておきます。


オーケストラの作曲の話をする前に、 芸術とそうじゃないものとの違いを簡単に。
話すと長くなりそうだから紙面の都合で簡単に言うと、覚えるものがたくさんあって、答えが1つではないものが芸術だと思う。

これは専門家だけがわかることかもしれないけど、ある一定のラインは一応そういうものだと決まっている。
芸術はそれぞれが感じるままに、それでいいんだと言う人がいるけども、でも実際はそうじゃない。
ある一定のラインまでは、それもかなり努力した者だけがわかるラインとなるから。

あんまり言うと、また問題発言になりかねないんで、この辺にしておく。

そうした芸術作品の中でも最高峰なのは、やはりオーケストラの作曲と言える。
何故かと言うと膨大な学びが必要だから。

そもそも作曲するって言う段階で、 これはクラシックの作曲と言う部分に絞って語るが、 基本的には音符が読めなきゃならないし、そこに書かれている記号や、発想標語なども理解しないとならない。
そもそも発想標語だけ考えたって、4カ国語ぐらいあるわけで、いろいろ勉強しなきゃならないんだよね。

それから今度は楽器の特性。
それぞれの楽器について熟知してないと、当然作曲することなんて不可能。
大体音域だって、それを超えたら音が出ないんだからね(笑)

作曲の技法も勉強しなきゃならない。
ここでは簡単に言うけど、 移調楽器同士が同じ音域でぶつかると 不協和音になる可能性もある。

今言ったことを理解するには、音楽理論を勉強しなきゃならない。
和声の解釈はかなり高度だし。

音楽を作曲する上では、基本的な形式と言うものも勉強しなきゃならない。

そういった様々なことを総合して、作曲が成り立っているから、だからこそ作曲は音楽の中でも、最高峰なんだと言える。

編曲やアレンジをする人は、 そうした知識をある程度は持っていなきゃいけないが、 作曲と圧倒的に違うところは、 音楽を生み出す力がないと言うこと。

それを悟ってアレンジ専門にやってる人もいる。
だが作曲家には到底かなわない。
どうしてか?

それは音楽を作っている人にしか、わかんないだろうね(笑)

ワーグナーの場合は、 オペラの台本まで自分で書いてた。
音楽も素晴らしいけど台本も素晴らしい。
こういう総合芸術の天才もいる。

どんな素晴らしい有名な芸術家であっても、だめなオーケストレーションの曲もたくさんある。

皆さんが完璧な芸術家だと認めているベートーベンだって、いい加減なオーケストレーションのところはあるわけだから(笑)

そういうのはこちらも、一生懸命勉強しなきゃわかんないことだけども。

いずれにしてもそういうことで、 聞いて楽しければそれでいいって言う人が、横行する世の中になっちゃったけど、 芸術としてのクラシック音楽とかは、 聞く人間のスキルもある程度上げていかないと、チャラチャラしたアクセサリーの1部にしか、なってないクラシック音楽に過ぎないんだよ。

クラシック音楽やってますって言ったら、立派な人間だって肩書きがついてくるような、そういうくだらない下世話な話になる。

繰り返しになるが、 クラシック音楽やその他の芸術も、 芸術と称するものは、提供する側だけじゃなく、受け手のほうも、きちんと勉強しなきゃ理解できない。

自分が手放しで、ただ鳴ってるものを、おいしいだまずいだって、言えることじゃないってことを、言っておきたい。

で、 俺は今吹奏楽の作品を作曲しているが、 自由の形式の交響詩しようと思ってるんだけど、 ちょっと専門的な話になるが、 フーガの部分を加えたいと試行錯誤してる。

フーガって言ったら、こうでしょ?って言う人もいるけども、それをオーケストレーションで考えたらどうですか?と聞いてみたい。

大変でしょうねっていうのは知識がある人で、 どんなふうに組み立てるんですかって言う人、 作曲を知っている人かな(笑)

今の曲を作り始めて1年以上になるけど、 未だその出口が見えないんだよね…

だから、悩んでます…

相変わらずの、高飛車な発言、すみませんでした(笑)


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カテゴリ:アート・文化