ブリブリの日常的な感じ

日常の自分を綴る

震災を思い出す地震だった…

震災を思い出す地震だった…

昨夜、棚の上に置いてあった俺の身だしなみ品とか、落下してきてかなり長い揺れが二度あった。

とりあえず、 親の様子を見てから、 一人暮らしの娘に連絡して無事を確認。
次女の方にも連絡して大丈夫だった。

お袋が宮城の実家に連絡しそちらも大丈夫ってことで…

朝になって長女の部屋に行ったら、 本棚から本が落ち、飾り棚から物が落ちて悲惨になってた。

それを片付けて。

福島の仮設炉に出向してる仲間に連絡を取ったが応答せず。
今朝になって連絡が来て、携帯も繋がらないし、 停電してたとか。
震度6の場所で、すごい揺れで部屋がめちゃくちゃになってるらしい。

朝しばらくしてから、ようやく通信と電気が復旧したって。
津波警報は解除になったが、余震が続いてるって言ってる。

出向先は、各地から集まってきてる人で構成している職場だから、あまり地震の経験ない人がパニックになってたって。

とりあえず必要なものがあったら送るからと、LINEしたけども、福島のテレビがようやく映り出して、ひどい状況らしい。

高速道路もひび割れがあって通行止めだし。

さっき宮城と福島に災害救助法が適用されたから、まだ明らかになってないところで、被害があるんだと思う、

しばらくは復旧にかかりそう。


昨日登山した筑波山系は、岩山で、 あちこちに大きな岩が点在してる。
昨日の登山の最中にこれが起きてたらと思うと、 俺も大変な惨事巻き込まれてたかも知れない。

震災のときには、 半年後にやはり加波山に登ったが、登山道が崩れてめちゃくちゃになって、小川の流れが登山道を覆い尽くしてて、道が破断してたり、道無しのルートファインディング箇所が多数あった。
登山道から離れた道のないところに登る、恐ろしさを感じた時だった。

震災のときには、 娘が帰宅困難となり、自分の会社の社長の家に泊まることになった。
友達は8時間かけて歩いて帰宅した。

家には次女がいたが、揺れがひどくてめちゃくちゃで、 本当に不安で怖い思いをし、心が傷ついて一人で眠れなくなって、しばらく家族みんなで一緒に寝た。

お袋の実家の宮城の親戚は、 塩釜にいるおじさん一家が津波で流され無くなった。
宮城のおじさんの家は倒壊。
息子嫁の実家が津波で流され亡くなった。

当時岩手の取引先はの担当は、津波で家が800メートルに流され、1人住んでいたお母さんが行方不明になった。
それから見つかったのが5日後、さいわい元気で施設にいた。

もう1人の担当は、 家も学校も津波でやられて、母親と、奥さんと、2人の子供を亡くした。
とんでもなく酷い担当で、下請けを虫ケラのように扱って、多くの人から嫌われてたやつだったけども、空元気で気力なく仕事をしてるのを見たら、かける言葉もみつからなかった。
その後、彼は退職した。

もっと様々なことを思い出す。

しかし、関東の被害も沿岸部は大変だったが、東北ほどはひどくなかった。
連日余震はあったものの、それでも仕事や学校は、すぐ再開して続けられた。

復興がはじまってしばらくして福島に行ったが、あまりの酷さに涙がでた。

それでも何にも出来ない自分が、あまりに情けなく思った。

また同じこと言ってると言われるかもしれないが、何度でも繰り返して言いたい。
偽善と言われようと何と言われようと、誰かのために何かをすることは、何もしないよりはいい。

できることからで、協力してほしいと願っています。