ブリブリの日常的な感じ

日常の自分を綴る

音楽の事、どう言っていいか、ちょっと考えた

先日、音楽作ってるって役所の若者と、刺しで呑みに行った。

まずは、俺の作ってる音楽を聴きたいと言うから聞かせたが、自分の作ってるものを、なかなか聴かせてくれない。
それで、この機会までずっと聞くことができなかった。

俺も、リアルでもネットでも曲を作ってる人と知り合った。
音大卒業して作曲してるって言ってるのもいたが…実際、どいつもこいつも、自分の作品を聞かせてくれなかった。
音大卒のやつに至っては、譜面の断片でもいいから見せてくれと言ったが、それもはぐらかされた。

その頃友達に、大阪芸大卒業のピアニストで、音楽じゃ生活できないからと、ナースになった人がいた。
その人と友達になれたのも、俺が音楽を聞かせたからだった。

その人も、俺と同じことを言ってた。
同じ大学の作曲家の人間も、作曲してると偉そうに言ってるが、その音楽はおろか、譜面も見たことがないと。
ちゃんとした完成系まで楽譜をつくるのは大変な作業だから、それで出来上がってないんじゃん?と話をしたが、結局楽譜もみられなければ、音楽も聞けなかったと。

呑みに行った話に戻るが、俺はかねてから、音楽は形だから、きちんと音楽を聞かせるまでいかないと、信じてはもらえないよと言ってきた。
いくら作曲やってると言っても、その人間を見ただけではわからない。
筋トレやってますとかなら、その人のガタイを見たら想像はできるけど、作曲してますって言われてもね(笑)
前に、若者にはその事を告げたが、俺とはやってるものが違うから…と言われ、それっきりになっていた。

ちょっとむずかしい話になるが、その昔シーケンサーが出たころには、打ち込みで音楽を作った。
その際には、基本的な楽譜は必要ではあるが、頭の中に楽譜があれば、あとは機械に打ち込んでいけば音楽が出来た。
それで俺はだいぶたくさんの曲を作った。
基本的に、シーケンサーで作るのは、楽譜は必要なく、音程と長さを入力していって曲を作る。
ま、俺は楽譜ありきの人間なので、おおざっぱな楽譜は書いて、それをもとに入力して拡大していく方法を取ってたが。

今の時代にも、そういうやり方があって、昔みたいに表現に四苦八苦する度合いも、大分平易化してきてる。
DTMとかDAWとか言われてるが、そういうアプリケーションを使って、音を入力していけば、音楽が出来あがる。

若者もそういう方法を取っていた。
だから、楽譜もなければ、それも楽譜を読めないときてる。
申し訳ないが、楽譜が読めないで何が作曲だというのが、俺の考えで変える気も無い。

いいわけか知らないが、楽譜を読めないけど曲を作ってる人がたくさんいて…と、何と比較してるのか知らないが、そういう問題ではない。

それで音楽作って大成して、生活してりるなら、それはそれで立派だと思いますが。

先に進む。
それからようやく飲み屋で音楽を聞かせてもらった。
俺のスマホに送ってくれたので、イヤホンできいたのだけれども。

これが、短いパッセージを繰り返す、そういう流行の音楽だった。

申し訳ないが、サウンドもそうだが、音楽としてどうなのか?と言われたら、なんと言ったらいいか、ちょっと考えてしまった。
タバコを吸いに喫煙室に行くので、その間聞いてくれと言われて、戻ってきたので、なんて言おうか~~~~と、とっさに、面白いんじゃないですか?…と。

嘘です。
音楽的に全然おもしろくないし、作曲といっても、コード理論とか蘊蓄を言ってたが、それも、意味のない虚栄でしかないと感じた。

音楽は、やはり基本が大切。
ドレミの意味を知り、配列出来て、はじめて作曲に入る。
それが出来る人が、コード理論なんじゃらを語れるんじゃないかなと思う。

俺も若いころは、楽典から、和声、対位法、作曲理論などの本を読みふけった。
本を読むことは無駄にはならない。
そういうものも、足りてない。
まあ年齢も若いから、まだまだこれからだから、補っていけばいいと思う。

若いころは、自分が優れていると思いたいし、そう思っちゃう事もある。

俺もそうだったな~と、ふと思った。

年齢を重ねて、知識が積み重なると、自分がいかにダメな作曲家かわかってきた(笑)

生まれ変わったら、もう少し才能ある作曲家になりたいかな…

ピアノ曲「レナ」2024年版
https://youtu.be/7J2w9dHrdOc?si=f40P7jptorFQ4P04