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独立した音楽なの? 吹奏楽の話し 2

独立した音楽なの? 吹奏楽の話し 2

よく吹奏楽と言うと、オーケストラを持つことが出来ない楽団が、仕方なく演奏するために作ったと思われます。

どうしてそういう風に思われるかと言うと、クラシックの有名な作品のアレンジを演奏する機会が多いからです。

演奏する側にとっては、弦楽器はないけれどやってみたい、有名な作品を自分の手で演奏してみたいと言う希望があります。
聞く方としても、知られてるクラシック作品や、大編成のクラシカルなものを聞くと、それなりに精通されてる方なら、感動することでしょう。

実際にはコンクールの自由曲など、そうしたクラシカルな作品のアレンジの登用が多いです。

そのことについて色々と異論を唱えている人もいます。
俺としても、フルオーケストラに特化した作品を、無理に吹奏楽にアレンジしているものが多いと感じています。

21世紀の吹奏楽“響宴”は、そうした風潮を改善して、オリジナルの吹奏楽のあり方を、今一度見直し、吹奏楽と言う世界を広げていこうと言う運動を起こしています。

余談ですがその21世紀の吹奏楽“響宴”では、作曲作品の募集を行っていて、俺も何度か応募したことがあります。
いずれも選外ですが💦
ここで公開してる、音詩「山の彩」も出品したものです。

以前は、選外になった作曲家も、作曲家として扱っていただき、無料で、その作曲コンクールの発表演奏を兼ねた演奏会に、招待していただきました。
しかしその時にはやはり、選外作曲家席?に居たのか、他にも悔しそうにしている人が多くて、客席センターに座った、入選した作曲家が案内されて、大勢から拍手を送られている姿を見た時は、なぜだか寂しい気持ちがこみ上げてきたのを覚えています(笑)
俺も器が小さい人間ですね💦

ともあれ、吹奏楽の方向性は、オリジナルよりもむしろ、クラシックの有名作品をアレンジしての公開といった、そういう方向からのスタートだったかも知れません。

吹奏楽には、吹奏楽でしか表現できないものがありますが、それはまた別の機会に。

クラシックの有名作品は、フルのオーケストラで聴くことができますし、大勢が紹介してますから、あんまりここで取り上げることは少ないと思いますが、追々そのアレンジ作品のなかでも、優れたものは取り上げようかと思います。

なんか、あんまり色々ありすぎて、切り口がよくわからないってのもありますが、最初の3回くらいは、オリジナルを紹介したいと思います。


さて、今回は、アメリカの作曲家ノーマン・デロ=ジョイオの「ルーブルからの風景」を紹介します。

かつて昭和の吹奏楽コンクールをリードして、今のハイレベルに導いた、有名な豊島第十中学校の指揮者、故酒井先生が、この音楽は特別に好きと言ったとか、記憶が確かなら聞いた事があります。

俺も高校1年の時に、定期演奏会で演奏した音楽で(あんまり詳しく言うとやばいので控えますが)、古典的な旋律のなかに、斬新が音楽技法を散りばめた音楽で、吹奏楽のために作曲された音楽です。

しばし、ルーブル絵画を眺めている情景を想像して、聞いていただけたら幸いです。


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