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吹奏楽コンクール課題曲 1 吹奏楽の話23

吹奏楽コンクール課題曲 1 吹奏楽の話23

吹奏楽というものを経験していく上で、必ず対峙するのが、課題曲という音楽。

課題曲は朝日吹奏楽コンクールで審査される音楽で、通常はこの課題曲と自由曲の2曲を演奏し、審査されることになる。
吹奏楽コンクールには色々な部門があって、小編成バンドや、事情で規定をクリアできない場合など、課題曲のない部門で競い、演奏する場合もある。

いずれにしてもどのケースであっても、必ず課題曲という音楽には接することになる。

課題曲は文字通り課題として、各学校共通であり、同じ土俵で戦いましょうと言う基本となる音楽。

吹奏楽の歴史は、この課題曲とともに発展してきたと言っても過言ではないと思う。

自由曲には当然自由曲なりの思い入れがあるが、しかし特に課題曲については、もっと深い思いを持っている人たちは、たくさんいると思う。

それだけ課題曲というものは、心に残る音楽だと言っていいと思う。

これから話すことはあくまで俺個人の思うことだが、本当の初期の頃のマーチ中心の音楽を除いて、現代の音楽に通じる課題曲が、登用されるようになってからの歴史で…
1980年代初頭までの課題曲は、非常に内容も素晴らしく、メロディーも美しく、そして音楽としてきちんとした形をもって、成立したものばかりだった。

いわばこれまでの間に、すべての課題曲の主軸となるものは、出尽くした感があったのかもしれない。

それ以後の課題曲はどんどん衰退の一途を辿って、現代に至っては旋律性も乏しく、形式も曖昧であり、そして音楽としての作曲家のテクニックなど、全く評価の対象外とされている。

どう見ても、つまらない、くだらない、簡単な音楽が、課題として出されているってことを考えたら、自由曲の難易度はとてつもなく上がってるのに、なぜだ?としか言いようがない。

残念ながら課題曲の重要性などを軽視し、それを選出する吹奏楽連盟の選んだ作曲家たちの、レベルの低下を指摘せざる得ない。

俺はこれまで10年以上、吹奏楽連盟から直接課題曲を購入しているが、本当に毎年がっかりする曲ばかりだ。

まあかなり課題曲について残念な発言をしてきたが、先に述べた通り課題曲は非常に、青春の思い出としても、重要な位置を占めている。

今回から何回かにわたって、個人的に好きな、そんな課題曲を紹介していきたいと思う。

まずはヘンデルのサムソン序曲。
昭和45年(1970年)の吹奏楽コンクールの課題曲。
ヘンデルの作品を、現代吹奏楽にアレンジしたものだが、非常に優れた構成をとっている。
またそもそものアレンジにおける選曲からして素晴らしい。
音楽的に深い知識を持ちオーケストレーションも入念に考えられたもので、レベルの高い作品だといえる。

YouTubeに良い演奏がないので、手持ちのCDの演奏をアップしました。


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