ブリブリの日常的な感じ

日常の自分を綴る

これからの作曲

自分の作曲スケジュールの中では、 今、作りかけの吹奏楽のための音詩と、オカリナ協奏曲を仕上げて、それから、 今度はクラシックじゃなくて、フュージョンポップスのアルバムを作りたいと思ってる。

それが、いろいろな理由から中断を余儀なくされて、 一旦中断してしまうと、自分の気持ちが入らなくなるって言う現象がある。

健康上の理由をいろいろ心配してたら、やる気も起きないし。

それで最近になって、俺がクラシックを作っている人間なのか、それともフュージョンとかジャズを作っている人間なのか、ポップを作っている人間なのかって質問された。

結論から言うと、全部だって話したら、どうして全部違う音楽を作れるのか?って。

根本的に言うと、音楽はこれであると言うものは無いから、だから、自分が好きなものを作れば良いのだけれども…

よく、詩でもそうだが、自分がいいと思えばそれでいいと言う人が多いけれど、この話は何回もしてるけども、ある一定のレベルと言うものがあって、基本的な解釈ができていなければ、鑑賞する上でもきちんとした鑑賞ができないことになる。
高い芸術的な作品においては、特に聞き手側にも責任があって、きちんと勉強してからこそ、楽しめる部分が多々存在してる。

この話をしちゃうと、 なんか俺も偏屈だなって言われそうなんでやめておくけど。

逆に言うと、音楽は1つではないって言う事からして、たくさんのものを吸収しないと、到底作曲なんてできない。

芸術と言う括りになったものは、学問が伴うから、 ものすごく多くのものを学ばなければならない。

例えば、クラシックといっても、ピアノソロとオペラでは全く違うものと言って良い。
知識としても、オペラは総合芸術だが、ピアノは単体芸術だから。
だからといって、どちらが上とか下とかそういう問題でもない。

ただ、 オペラの方が、物理的に覚えなきゃいけないことがたくさんある。
例えば、オーケストラが作れなきゃならないし、台本に合わせて音符を書かなきゃならない。
そのことだけ考えたって、普通の人間ができる技じゃない。
俺ならできるけど(笑)

変なこと言うと、また非難されることになるんで。

そういうことで中断しているものを先に進めるのは、1度火が消えちゃったものを、もう一回ともすのも、大変なことだなって痛切に感じている。

俺が病気になって実家に帰れなくなった。
その間にやる気が起きるか…

12月の半ばには帰れるだろうか…

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