ブリブリの日常的な感じ

日常の自分を綴る

自作曲の公開…ピアノ曲「レナ」2021版

ピアノ作品の最初の改訂は、この作品になりました。

2005年のことですが、腎臓病のピアニストとネットで知り合いました。
リアルでお会いしたことはありませんが。

この人は屈託のないとてもおおらかな人でした。
たくさん悩みも抱えてることは、何度かのメールのやりとりで、わかってきて、それは透析を余儀なくされて、苦労されてる毎日だとはわかりました。

ただ、それを大変だとか、苦しいとかほとんど言わないひとで、逆に病気について知りたいと言ったら、なんでも聞いてくれと言ってくれて、その通りなんでも話してくれました。

けれども、病状が悪化して、このままでは生きていられないくらいになってしまいました。

移植手術を受ける事になりましたが、それがお母さんからの提供でした。

けれど、彼女は葛藤があって、お母さんとはうまくいってなくて、その理由は結局話してもらえませんでしたが、最終判断をするのにも、かなり悩んだ末だったと思います。

移植手術が決まってから、彼女と同じ病気の人がたくさんアクセスしてきて、その人達との交流を見ていて、俺は出る幕がないことがわかりました。

同じ病気の人でないと、わかりあえない何かがあります。

それは、俺が持病をたくさん抱えてることも、時にそうなのかな?と感じる関係性もあるからです。

でも、彼女の手術の日までに、エールを贈りたくて、作ったこともない、ジャズのピアノ曲を作ろうと決意しました。
俺にはそれしか、してあげられる事はないですから。

作ったこともないジャズは、かなり苦戦が強いられて、作曲の日数もかかり、結局、完成前に、彼女は手術のために入院してしまいました。

もう、駄目かな…と思った時に、彼女からメールが届きました。
今までの励ましてくれてありがとうとありました。
もしかしたら、死んでしまうかも知れないので、メールしたと書かれてました。

移植が成功しても、その後の拒否反応など、大変な道のりがあることも書かれてました。

それを読んでいて、涙が出て、最後まで作曲するのが自分が出来る、最善のことだと思いました。

それが、彼女は病院にノートPCを持っていってる事がわかって、音楽を聞けてるので、まだ途中でしたが、曲を贈りました。
すごく喜んでくれて、俺もなんだか務めを果たした気がしました。

それから徹夜で続きを作り、手術前に曲を贈る事ができました。

しかし、それから俺は、黙って疎遠になりました。

先程書いた事ですが、わかりあえる人が、一番近くにいるべき人だと思ったからです。

今も元気で、好きな水泳などされて、楽しい生活を送っていることを、祈っています…

※レナというタイトルは、その人のHNから取ったものです。
腎臓病の方が服用する薬に、レナジェルという薬があって、その名前から取ったものだそうで、それをタイトルにしました。




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